
この記事でわかること
予防保全はインフラが壊れる前に点検・補修する維持管理戦略です。国土交通省が2018年11月に公表した試算では、2019〜2048年度の維持管理・更新費は予防保全で約176.5〜194.6兆円、事後保全で約254.4〜284.6兆円となり、30年累計で約3割(▲32%)の効率化効果が見込まれています。第2次の「国土交通省インフラ長寿命化計画(行動計画)」(令和3年6月18日策定、令和3〜7年度)で予防保全への本格転換が方針化されましたが、地方公共団体の予算・技術職員不足で実装には時間差があります。本記事では予防保全と事後保全の違い、進まない理由、建設会社の動き方を整理します。
主要データ
- 30年累計(2019〜2048年度)の維持管理・更新費:予防保全 約176.5〜194.6兆円、事後保全 約254.4〜284.6兆円。累計で約3割(▲32%)の効率化効果(国土交通省、2018年11月30日公表)
- 道路橋の2巡目点検(2019〜2023年度/令和5年度に2巡目完了、2024年3月末時点)で要対策(III・IV判定)は約5.6万橋。1巡目の約6.9万橋から減少。点検実施率99.4%(国土交通省「道路メンテナンス年報 令和5年度版」2023年度末時点データ・令和6年8月公表)
- 1巡目III・IV判定橋の措置着手率:地方公共団体83%(約17%が未着手)。完了率は全道路管理者計で67%(国土交通省「道路メンテナンス年報 令和5年度版」2023年度末時点データ・令和6年8月公表)
- 市区町村の土木部門職員は2005年105,187人 → 2023年90,709人(▲14%)。約25%の市区町村は技術系職員(土木技師・建築技師)がゼロ、435団体(総務省「地方公共団体定員管理調査結果(令和5年4月1日現在)」を基に国土交通省作成。一次資料PDF: https://www.soumu.go.jp/main_content/000937479.pdf、関連ポータル: https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/teiin-kyuuyo02.html)
- 新技術導入率は国・都道府県・政令市99.7% vs その他市区町村61.8%(2023年)。約38ptの段差(国土交通省「インフラメンテナンス分野での新技術の導入状況」)
2014年7月から、橋梁・トンネル等は全道路管理者に5年に1度の近接目視点検が義務付けられました。それから10年が経過し、2巡目の定期点検が完了しています。点検結果のデータは積み上がりましたが、補修・更新の手当ては地域差が大きく、これからの10年で受注構造そのものが変わる局面に入りました。
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予防保全とは — 「壊れる前に直す」維持管理戦略
予防保全とは、インフラの劣化が顕在化する前に点検・診断し、計画的に補修・補強する維持管理方式です。対比語は事後保全(Reactive Maintenance)で、こちらは「壊れてから直す」方式を指します。
構造物の劣化は時間とともに加速度的に進みます。コンクリートのひび割れ・鉄筋の腐食・部材の疲労は、軽微な段階で手を入れた方が補修の規模も供用への影響も小さくて済みます。逆に、放置して構造体全体に進行すると、打ち替えや架け替えにつながり、コストが跳ね上がります。
国の方針は予防保全への転換です。第2次の「国土交通省インフラ長寿命化計画(行動計画)」(令和3年6月18日策定、令和3〜7年度)で「予防保全への本格転換」が明記されました。政府全体の「インフラ長寿命化基本計画」(基本計画、2013年閣議決定)の下で各省庁が策定する行動計画の一つで、こちらは国交省所管インフラの管理方針を示すものです。基本計画と混同しやすいので、参照する際は名称まで確認したほうが安全です。
ポイントは、予防保全が単なるメンテナンス方針の話ではなく、点検 → 診断(健全度判定)→ 措置(補修・補強・更新)→ 記録のPDCAを回す管理体系全体を指す点です。点検だけ、施工だけを切り出して語ると、本来の意図が伝わりません。
事後保全との違い — コストカーブで何が変わるか
国土交通省が2018年11月30日に公表した試算では、2019〜2048年度の30年累計の維持管理・更新費が以下のように推計されています。
維持管理方式 | 30年累計(2019〜2048年度) |
|---|---|
事後保全(壊れてから直す) | 約254.4〜284.6兆円 |
予防保全(壊れる前に直す) | 約176.5〜194.6兆円 |
効率化効果(累計) | 約3割(▲32%) |
(出典:国土交通省「国土交通省所管分野における社会資本の将来の維持管理・更新費の推計」2018年11月30日公表)
差額は単一値ではなくレンジで示されている点に注意が必要です。一般に「90兆円差」と紹介されることもありますが、これは上限同士の引き算による表現で、常に固定差額があるわけではありません。記事や提案資料で引用する際は、レンジと▲32%という効率化率を併記したほうが誤解を生みません。
なぜ事後保全は高くつくか
3つの構造的理由があります。第一に、部分損傷の段階で補修すれば小規模工事で済みますが、放置すると構造体全体の打ち替え・架け替えに発展します。第二に、通行止め・断水・通水停止など供用への影響が大きく、迂回路整備や仮設費が膨らみます。第三に、緊急度が高くなるため工期が短くなり、施工単価そのものが上がります。
国交省の試算では、事後保全を継続した場合、2048年度の維持管理・更新費は2018年度比で最大約2.4倍に膨張する見通しが示されています(推計はレンジで提示されており、上限ベース)。
予防保全のコスト面のデメリット
予防保全にも弱点があります。「壊れる前」の判断には診断技術と判定基準が必要で、判定を誤るとまだ持つものまで直す過剰投資になります。また、短期では支出が増え、長期で平準化される構造のため、単年度予算では正当化しにくい性質があります。
一般論として、劣化予測の前提が地域条件(塩害・凍害・交通量・地下水位など)と合わないと、過大投資にも過小投資にもつながります。判定基準の校正と地域特性の反映が、予防保全を機能させる前提です。
なぜ予防保全が進まないか — 自治体側の現実
第2章のコスト効率の差は政策論ベースの試算です。実際にインフラを管理し補修を発注するのは地方公共団体で、ここに予算・人員・技術蓄積の制約があり、現場ではボトルネックになっています。
老朽化は加速する局面に入っている
背景として、インフラの老朽化は今後10〜15年で加速度的に進みます。建設後50年を超える施設の割合は、2025年3月時点の推計で道路橋42%・トンネル28%・水道管路10%・下水道管渠7%・河川管理施設26%・港湾施設29%。2040年3月時点には道路橋約75%、トンネル約52%、河川管理施設約64%、水道管路約40%、下水道管渠約34%、港湾施設約64%に達する見込みです(出典:国土交通省「建設後50年以上経過する施設の割合」、2024年3月時点までの実績を基にした推計)。手当てを後ろ倒しすればするほど、母数が膨らみます。
市区町村の技術職員不足
市区町村の土木部門職員は2005年に105,187人いましたが、2023年は90,709人で、18年間で14%減少しました(総務省「地方公共団体定員管理調査結果(令和5年4月1日現在)」を基に国土交通省作成。一次資料PDF: https://www.soumu.go.jp/main_content/000937479.pdf、関連ポータル: https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/teiin-kyuuyo02.html)。さらに、約25%の市区町村は技術系職員(土木技師・建築技師)がゼロで、該当は435団体にのぼります。
技術系職員ゼロの市区町村では、点検・診断の発注仕様作成も委託先選定も外部依存が前提になります。発注側の専門性が確保できないまま受注者を選ぶ構造は、補修工事の質にも影響します。
修繕進捗のばらつき
1巡目点検(2014〜2018年度)でIII・IV判定(早期措置・緊急措置)を受けた道路橋に対する、2023年度末時点の措置の進捗は以下のとおりです。
- 地方公共団体の着手率:83%(約17%が未着手)
- 全道路管理者計の完了率:67%(約3割で未完了)
地方公共団体で1巡目III・IV判定だった道路橋のうち、約17%は措置に着手すらできていません(国土交通省「道路メンテナンス年報 令和5年度版」2023年度末時点データ・令和6年8月公表)。点検は法令通り実施できても、補修まで予算と人手が回らない構造が表面化しています。
新技術導入の段差
点検効率化の鍵となる新技術(ドローン点検、AI画像解析、センサー、非破壊検査)の導入率にも段差があります。
- 国・都道府県・政令市:99.7%
- その他市区町村:61.8%
(出典:国土交通省「インフラメンテナンス分野での新技術の導入状況」2023年)
約38ptの差は、人材・予算・情報量の違いが累積した結果と読めます。市区町村レベルでは、点検仕様に新技術を組み込めない、または組み込むノウハウがないケースが多く残っています。
分野別の老朽化と受注機会の詳細は次の記事も参照してください。
建設会社にとっての商機 — 何が請負ベースで増えるか
受注構造の変化
予防保全への移行は、建設会社の受注パターンを変えます。3つの方向に整理できます。
第一に、点検・診断業務の発注が継続化します。2013年度の道路法改正等を受け、2014年7月から全道路管理者に5年に1度の近接目視点検が義務付けられた橋梁・トンネル等は、定期点検という形で5年サイクルの発注ベースができています。
第二に、小規模補修・補強工事のリピート発注が増えます。1件あたりの工事金額は小さいですが、面で取れる構造です。施工実績と地域への張り付き具合が効きます。
第三に、包括管理契約(点検〜補修を一括委託する方式)が広がっています。国交省の複数の事例集・資料では、東京都府中市、新潟県三条市、石川県かほく市、福島県宮下土木事務所管内などの事例が示されており、地方公共団体が技術職員不足を補う手段として導入が増えています(出典:導入検討事例集、水インフラ事例、群マネ・PPP-PFI関連資料)。
取り組みの3軸
差別化の入り口は3つあります。
- 点検→診断→補修の一気通貫提案:診断(健全度判定)まで提案できるか。施工だけだと単発受注で終わりやすい構造です
- 新技術の活用:ドローン点検、AIひび割れ検出、FRP補強、非破壊検査機器を組み合わせ、人的工数を減らしながら判定精度を上げる
- データ蓄積と提案力:点検結果をデータベース化し、自治体の長寿命化計画策定や個別施設計画の改訂を支援する役割を担う
注意したい受注の落とし穴
うまくいかない典型は3つです。
単発の点検業務だけ受注して、補修工事を別業者に持っていかれるパターンです。点検データの活用が分断され、地域への張り付きが効きません。次の点検サイクルが来るまでの5年間、関係が途切れます。
もう一つは、旧来工法だけに依存しているケースです。供用中の急速施工や、交通規制を最小限にする工法が要る現場で参入余地が狭くなります。FRP補強・無溶接接合・プレキャスト化など、施工日数を短縮する工法の引き出しが受注機会を左右します。
三つ目は、自治体のインフラ長寿命化計画策定支援を受ける場合の落とし穴です。地域の劣化特性(塩害・凍害・交通量・地下水位など)を反映できないと、計画自体の実効性が低くなります。発注者からの信頼を一度失うと、次の改訂時に呼ばれにくくなります。
国土強靭化中期計画(令和8〜12年度)の予算規模と建設業への影響は、次の記事で詳しく整理しています。
So What — 予防保全時代の経営判断
短期(1〜3年)
まず点検技術者を社内で育てます。道路橋点検技士、コンクリート診断士、土木鋼構造診断士など、発注側が求める資格を保有する技術者の人数は、案件によっては参加要件や総合評価項目で問われやすくなります(個別公告の確認が前提)。
次に、自治体ごとに長寿命化計画・個別施設計画の改訂時期を把握します。改訂の前後で発注パターンが変わるため、改訂時期に合わせた営業設計ができるかどうかで受注機会が変わります。
最後に、包括管理契約・複数年契約の入札参加要件を確認し、必要な実績・人員配置・技術提案体制を逆算しておきます。要件を満たすには2〜3年かかるケースが多いため、早めの仕込みが効きます。
中期(3〜10年)
点検データのデータベース化と劣化予測モデルの自社蓄積が、次の差別化軸になります。発注者が変わっても、地域の劣化傾向を持っている会社は提案の精度が落ちません。
新技術への設備投資(ドローン、AI画像解析、非破壊検査機器)も、市区町村レベルでの導入率が60%台にとどまる現状を踏まえると、ここに参入余地があります。
そして、自治体のキャパ不足を埋める「準・発注者支援」のポジションを取りに行く動きです。点検仕様の策定支援、技術提案の評価補助、長寿命化計画の改訂支援といった上流工程に関与できれば、補修工事の指名にもつながります。
避けるべき判断
「予防保全 = 国の方針だから自動的に発注が増える」と捉えるのは危険です。実装は地方の予算・人員に依存し、自治体間の地域差が大きい構造です。
単発の補修工事だけを取りに行く戦略も、長期では細る方向にあります。点検・診断・補修の一気通貫を求める発注が増えてきています。
新技術導入を後回しにするのもリスクです。市区町村レベルでの新技術導入率は2023年で61.8%にとどまり、国・都道府県・政令市の99.7%とは約38ptの段差があります。逆に言えば、市区町村案件で新技術を提案できる会社の希少性は当面続きます。
まとめ
予防保全と事後保全の30年累計差は、国交省の試算で約3割(▲32%)。これは政策論としては明確ですが、実装するのは地方公共団体で、市区町村の土木部門職員▲14%・25%の市区町村で技術系職員ゼロという構造的な制約があります。1巡目点検でIII・IV判定だった地方公共団体の道路橋のうち、着手率83%、約17%は措置に未着手のままです。
建設会社にとっての要点は3つです。点検→診断→補修の一気通貫を提案できる体制を作る。新技術導入で市区町村レベルの38pt差別化を取りに行く。データ蓄積で長寿命化計画の改訂支援に関与する。これらを2〜3年スパンで仕込めるかが、次の10年の受注ポジションを左右します。
さらに詳しく:
本記事は一般的な情報提供であり、個別の維持管理計画・契約条件の判断を示すものではありません。具体的な計画策定・施設管理は発注者および専門家にご相談ください。


